なぜ気づかなかったのか、2月の断薬の効果と離脱作用?

私は、昨年大金を使ってタイの大病院に入院、セカンドオピニオンにバンコクの有名な精神科に通ったことがある。有給を使って入院、通院を含めて2週間、医療費だけで100万円弱を使った。タイというと発展途上国のようなイメージがあるが、サービスとしての病院は日本とは格が違う。病室は高級ホテルより豪華だし、5か国語くらいには対応している。病院食もタイ、和食、洋食から選べる。精神科も専門に分かれており、不眠症=Insomnia科というのもあるのだ。しかも、治療方針や治療スケジュールもちゃんと教えてくれるし、帰宅時には診断書などもくれる。日本のいい加減な精神科の医療とは大違いなのだ。

私は、7年間続けてきた日本の精神科の治療に嫌気がさし、先進的なタイの精神科医療に呆気にとられ、信じてしまった。

これが間違いだった。セカンドオピニオンの医師は、問題としてベンゾ系の薬を指摘し、向精神薬の副作用で治療する方針を立て、そのスケジュールを説明してくれた。今まで10か所くらいの日本の精神科で診てもらったが、こんな明快な説明と治療方針を提示されたのは始めてだったのでまんまと信じてしまった。

日本の医師は、治療方針もスケジュールも全く示さない。とにかく、ちょこちょこと副作用や離脱が気づかないように薬を増薬し、通院を長引かせる。どの病院に行っても、他の医師の悪口をやんわりと言い自分を正当化しようとするが、やり口は殆ど変わらない。それに比べると、タイの医師の治療するという意思や方法、スケジュールは明快であった。それを信じてしまったのだ。

しかし、処方された4種類の向精神薬の副作用はすさまじく、確かに向精神薬服用後、5時間程眠れるようになったが、日中の副作用が耐えられなくなってきた。最初の4カ月はそれでも睡眠が取れていたので、我慢して飲んでいたが、5カ月目にはいって副作用は酷いまま、眠れなくなってきた。医者にSkypeで相談したところ、なんとまた増薬するという判断だった。知り合いの勧めで、私は再度バンコクに行き、薬を処方してもらったが、帰国後さすがに生命の危険を感じ、自己判断で断薬に踏み切った。

そして、人生で最悪の2月を迎えた。最悪期は、もう少しで自死を選ぶところだった。心配してくれた、会社のスタッフが電話をしてきてくれて、一命をとりとめたが、その後2か月は廃人のようだった。様々な離脱症状があったが、強烈な背中、肩、首のコリはその頃からとれない離脱症状だ。

この劇症離脱(底打ち)の2か月で、それまでの日中の体調の悪さや断薬後の様々な体やメンタルの不調は向精神薬のせいだったと結論づけた。

断薬の諸先輩から急な断薬は逆効果だと言われる。僕も正論だと思う。しかし、今後長い戦いを続けるうえで、先週の急激な減薬は私にとってプラスだったと思う。デパスを1錠断薬しただけで、眠れなくなるだろうことは想定していたが、日中にこんなに離脱症状が起きるなんて全く想像もしてなかった。この離脱症状を経験したおかげて、睡眠薬への精神的依存が一気に吹き飛んだ。「こんな毒を体内に毎日入れていてはいけない。」と実感したのだ。そして、就寝前の服用時、睡眠薬の異物感が吐き気を伴うようになった。体が摂取することを拒否しているのだろう。

おそらく、最初から0.5%づつ減薬していったらこういった離脱症状の顕在化はなかっただろう。そのため、不眠が続くと辛くて増薬してしまったかもしれない。しかし、今回は2日間絶不眠が続いても、睡眠薬を増薬しようとは思わなかった。来週からいよいよ減薬を再スタートする。今回の離脱症状を良い教訓になるべく増薬しないようにして行こう。

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