なんてこったの2日間 北海道地震で離脱症状悪化

9月6日午前3時8分大きな揺れを感じて起きました。それから、1日半、ちょっとした難民生活が始まりました。1日半でしたが、非常に疲れました。以前、食べ物は殆どなく、ポカリスエットと柿の種、ポテトチップスが少しあるくらいです。道内は、以前、100万軒近い世帯の電力が復旧されておらず、残された道民の方々におかれましては、もう少しの辛抱ですので、頑張ってください。

僕はバンコク帰国後、離脱症状が快復し、体調がだんだん良くなっていたのですが、水曜日の台風の来道とともに段々離脱症状が悪化、1日だけ絶不眠があり少し体が疲れていたので、地震の日は、眠っていました。眠っているとベッドが揺れ、建物がきしむ音がしましたが、それ程怖さは感じませんでした。起きてしばらくすると、揺れは収まったので、また、横に眠ろうと努力しました。僕の部屋は、マンションの11階で地震がくると、揺れは低層階より増幅されます。しかし、テレビモニター、PCモニター、食器など何も落下しませんでしたので、大したことはないと思っていました。2時間程して、暑かったのでクーラーをつけて、なんとか入眠しようとしました。

そして、7時頃に火照りでボーっとした体を起こしにシャワーを浴びようとして水が出ないことに気づいたのです。マジかあ?と思いました。そして、それから30分くらいで、エレベーターが動いていないこと、トイレに行けないことをやっと認識しだしました。

僕はこういう時にあまり、初動が早い方ではないので、会社が休みだということがわかってから、パタヤをふらついていた時のようなアロファシャツ、ショーツ、サンダルというスタイルで半分ホリデー気分で外に出てみて、唖然としました。人々が難民化していたのです。

人々は、非常用のポリタンクやペットボトルをたくさん抱え、公園では水道に30人くらい列を作っていました。また、どこからか食料品を1週間ぶんくらい買い込んで右往左往しているのです。僕はいつも思うのですが、どうして、みんなあんなに買い込むんでしょうか?2~3日食べなくても死なないし、長引けば行政やボランティアが動くはずです。あんなに買い込んだら、他の人に物資がいきわたらなくなってしまいます。案の定、コンビニに行ったら、8時前なのに、既に殆どの物は売り切れ状態でしたがw。

災害で、一番困るのはやはりトイレです。食べ物や飲み物は、2~3日は飲まず食わずでもどうにかなりますし、歩き回ればなんとかなります。しかし、トイレはそういうわけにはいきません。僕の家は11階なので、トイレを1回行くために、3~4リットルの水を公園から運んでこなければなりません。公園に水を汲みに行くだけで、昨日は11階まで5~6階往復しました。昨日は、昼までに1万歩以上歩いていました。

被災中、一番困ったのは午後6時以降です。とにかく周囲が真っ暗で、何もすることがない。しかも、都会の暗闇は非常に結構不気味なのです。キャンプ場などでは、暗闇がストレスを下げると思いますが、災害の暗闇はストレス以外の何物でもありません。

僕はバンコクに行ってから、リラックスすることをだんだんと脳と体が覚えてきて、安静脈拍数は66~68(減薬前は70~75)で、睡眠時は55前後(減薬前は70前後)とだんだんと脈拍数が低くなっていました。ところが、台風→地震のダブルパンチを喰らい、減薬をステイしているにも関わらず、安静脈拍数は72までジャンプアップ。しかも、睡眠時の脈拍数も70程度と非常に高いのです。

離脱症状も悪化しました。特に肩と首の硬直は酷く、24時間バキバキ状態です。ただ、他の離脱症状は今のところ悪化していません。メンタル的にも全く問題ないです。やはり、減薬して殆どの離脱症状は完治に近い状態になったんだと思います。でも、たまに軽いめまいがするかもしれませんが。その程度です。

睡眠についても、やはり減薬前よりは、快復していると思います。減薬前は、地震などのネガティブな事象が生じると、眠れないことが多かったのですが、減薬後は、それでも眠れるところまでよくなっているのだと思います。しかし、やはり、地震後のストレスが大きく、安静心拍数は上がり、睡眠時の心拍数も高くなったのではないかと思います。

今後は、この安静心拍数が低くなるまで、減薬はしばらく、デパス79/100=0.79mgでステイを継続する予定です。

まあ、こういう時もある Life Goes On!

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