人生はまだ学べることが沢山ある

ホームセンターに行って電気ドライバーに装着するビスという所謂、プラスやマイナスのネジ部を購入しようと思ったのだが、やたらと種類が多く全くどれを使っていいのかわからない。店員に聞いても、何をはなしているのだかよくわからず、結局、適当に目でみて選んだ。これで、必要のないグッズかやたらと増える羽目になるんだよなあ😅

しかし、既に50半ばになるのにDIYや料理は知らないことだらけで、時間がいくらあっても足らない。人生はまだ学べることが多いのだ😊

ホームセンターで悩みすぎて疲れ、作業をするためにマンションにすぐ戻るはずが、また行きつけのカフェに来てしまった。しかし、このカフェはオーナーのセンスがいい。

シェルフを新設したみたいだが、無骨に見えるが利用している木材も、躯体部も他のインテリと調和が取れているし、妥協していない。これが殆どオーナーのデザインで、物によっては自分で作っているから驚きだ。

コメントで丁寧に生きることに共感するというコメントを複数いただいた。Okudaira bade の受け売りだが実践すると色々なものが見えて来る。

生きるためにしなければならない、生活の諸作業を見直すと、いろいろとやりたいことも増え、欲しいもの、買いたいものも増えてくる。生きる活力みたいなものが湧いて来る。そして、意外にもいつも使っていなかった脳を使うのだ。生活を良くするための身の丈にあった消費は良いことだと実感している。消費したときの、あの瞬間的高揚感も、その後の空しさもない。消費自体が基礎的な生活を豊かにしてくれることを実感する。

僕は50台に入るまで、仕事ばかりしていたかもしれない。時間的には、ダラダラしている時間が少なかったので遊んだり、旅行したりする時間もいまよりずっと多かった。しかし、いつも頭は仕事のことばかり考えていた。

頭脳労働というのは、オフィスを離れても終わらない。いつだか、前妻と旅行をしていた時に独り言でファッスで請求書がなんとかと独り言を言って気持ち悪いと言われたことがあった😅だから、離婚されんだよなあ😁

また、離婚後にバックパッカー旅行していてラオスの山奥で長距離バスに乗っていた時にハッと思いつき、新規事業のアイデアのメモを書いていて、到着地を過ぎ、その日に結局目的地に辿りつけなかった事があった。しかし、そういう自分が当時は好きだった。しかし、そんなのは間違った生き方なのだ。休暇は、何も考えず、ゆったりと時間を楽しむべきものだ。

その頃、既に睡眠薬を常用していたのでハイになっていたのかもしれない。

仕事なんていうのは、生活するためにあるサブセットで、食べたり、寝たり、風呂に入ったり、寛いだりする基礎的な生活活動が疎かになるようなら本末転倒なのだ。

そんなことが、今頃になってわかった。いや、生きているうちにわかって幸福だと思う。

人生は学べることがまだまだ多いのだ。


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