香港のご夫婦

パタヤからバンコクに移動していた時に仲の良さそうなご夫婦に移動のバスの中でお会いした。奥さんに「どこから来たの?」と聞かれ、「日本から」と答えると、「イェーイ、日本!」とニコニコしながら「私達は2ヶ月に1回は日本に行ってるのよ。日本は大好きだわ。」と言われた。

年齢は同年代か、少し年上かもしれない。自営業で少し余裕がありそうな夫婦で、お金を余りかけずに、旅行の回数、経験の方を重要視するタイプだと直感でわかった。僕も同じようなタイプなので話が合うと思った。思ったとおり、タイの安くておいしい店やホテルの情報を共有してバンコクまでの2時間を楽しんだ。しかし、この夫婦、タイには毎月来ているという。先程、日本にも2ヶ月おきに1週間くらいづつ滞在しているという。もう引退しているのだろうか?それとも、お金を気にしないで良い身分なのだろうか?それにしては、どうしてリムジンを使わないで、乗り合いバスなどに乗車しているのだろうかなどと考えを巡らせていると、奥さんの方が私に突然言ったことに耳を疑った。

“We have cancer. So we travel together”

こういう時、私は気の効いた言葉を返せなくなる。そうか、だから時間を惜しむように旅行をしているのか。しかし、この奥さんは立派だ、おとなしい旦那さんがガンを抱えながら、いつ倒れるかもわからないのにニコニコしながら旅行をめいいっぱい楽しもうとしている。僕はなんて甘っちょろい人間なんだろうか?僕なんて不眠症なだけじゃないか、死に直面しているわけではない。前を向かなければ、この夫婦に申し訳ない ….。しかし、なんて答えたらいいのだろうかなどと考えていると.

“We both cancer. We v had the same food since we got married, so maybe that is the reason”

と聞こえた。僕は耳を疑った。2人とも同時にガンになったと言うのだ。しかもガンが取り持つ縁でカップルになったわけではないのだ。同じような食生活の結果、2人とも同時にガンになったというのだ。僕は頭が真っ白になってしまった。なんという運命なのだろう。

日本人は人の死に弱い。私は海外で1ヶ月以上滞在した経験が2度ある。1度目は留学先の米国で4年、2度目は短期滞在だがタイの1ヶ月だ。この期間感じたのは、米国でもタイでも死は日常で、日本程のインパクトはない。米国でもタイでも、人の死に直面すると日本人より悲しみをあらわにする。しかし、日本では死が一種のタブーのように扱われる一方で、タイでも米国でも死は日常の一部なのだ。特にタイでは、知り合いの周辺で簡単に人が死ぬのでびっくりした。言葉は適切でないと思うが、死が日本より軽いというか、カジュアルなのである。少なくとも私にはそう感じた。

香港でもそうなのだろうか。そのご夫婦は、自分達が死に直面しているということをオープン且つ淡々と話す。そういう態度に僕は圧倒されてしまった。

しかし、同時に僕は羨ましかった。2人で同時にガンになり、限られた時間を一緒に楽しみ、そして、同時期に消えるのだ。こんな仲の良い関係を維持しながらこの世から消えられるというのはとても幸せなのかもしれない。夫婦は、僕にAsokeのTerminal 21のフードコートで食事をするのでご一緒にどうと誘ってくれたような気がする。僕はその部分を良く聞きとれず、誘いを受け流してしまった。すぐに、バスは停車し、そのご夫婦は名残惜しそうに、バスを降りた。

“Have a nice trip, all of you!”

奥さんがニコニコしながらバスの中の人達に声をかけ、旦那さんが手を振った。旦那さんの動きはどことなく元気がなかったが、奥さんとの旅を精一杯楽しんでたように見えた。

ガンにならなくても、人間が生きている時間は有限だ。毎日ダラダラ生きていると、そのことを忘れがちだ。しかし、この夫婦に会った時、人の時間が有限だということを強く感じさせられた。そして、あの時、夕食をご一緒していればよかったと本当に思った。一人旅はこういうところが醍醐味なのだから。

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