不眠症旅 復活篇

3年ぶりに道内を離れ本格的な長旅をしました。4/28から出発したので、1週間の旅でした。久しぶりに心地よい疲れにつつまれ昨夜は断薬後初の7時間睡眠(たぶん)できました。このブログは、不眠症がテーマなので今回の旅中の睡眠状況をラフにおさらいしておくと、ざっくり2/3は眠れました。1/3も完全に絶不眠というわけではなく、明け方に1時間くらいはうとうとできており、不眠で体調が悪くなることは殆どありませんでした。体調的には完全復活といっていいでしょう。

さて、今回の旅の目的は3つ。不眠症繋がりの伊豆のshigeさんに4年ぶりに再会すること。熱海にいる大学時代の友人に2年ぶりに会うこと。そして実家で母に4年ぶりに会うことです。

【伊豆のShigeさんとの再会】

Shigeさんは伊豆の山中で古い別荘を購入され農園のアルバイトとDIYをやりながら、スローライフを楽しんでいます。4年ぶりの再会でしたがとても元気そうで、相変わらず田舎暮らしを楽しんでいらっしゃいました。つい4年前に病気繋がりで知り合って、まだ2回しか会ってないのに、全然気を使わないし、ずうずうしく泊まっちゃうし、なんでも話せちゃう。2日間いて、別荘地を散歩したり、海岸を廻ったり、道の駅で謎のめんたいパークで明太子丼をほうばったりであっという間に2日間が過ぎました。

沼津で食べたカワハギ刺し身定食 800円と激安

前回来た時は、確か2018年10月だったので減薬後3ヶ月目。減薬中は、睡眠時間は長くなったり、短くなったりします。離脱は肩以外は20種類以上あった体調不良が少しづつ軽減していくので、あと6ヶ月もすれば良くなるんじゃないかと希望を持っていた頃ですね。このあと、断薬後にとてつもない絶不眠と肩の硬直に2年も悩まされるわけなんですが…。

別荘地で竹の子がり

一方、Shigeさんの方は当時はまだ寒い寒いと異常に寒がっていました。いくら寒がりでも、寒がりすぎだろうと思っていたのですが、おそらくあれも離脱だったんでしょうね。今回訪ねてみて感じたのは、寒いという言葉を殆ど聞かなかったことです。最近は農園を手伝い身体を動かしているので、心身ともに快調だそうです。

明太子大盛りで800円 旨い!

Shigeさんが話されていて印象的だったのは最近読まれている本のテーマの「意識」の話です。我々は99.9%が無意識で動いているが、0.1%は意識して動いている。意識と無意識を隔てるのは「もっとよくしたい」という向上心で、それが人間や動物を隔てているというようなことだったと思います。

僕も離脱が酷いときに、記憶が飛んだり、意識がなくなっていくような感覚がありました。そのときに、「記憶」や「意識」について考え「Ghost in the Shell」を何度も何度も繰り返し観た記憶があります。僕はこのまま記憶や意識がなくなったら擬態化(ゴーストが無いロボット)してしまうのではないか?もしそうなったら見た目は人間でも、人間と言えないのではないかと…。

意識が高すぎても精神的に大変なんでしょうが、無いと人間じゃなくなっちゃうのかなあ〜。確かに、僕もやりたいことが見えてきたら元気になってきたものなあ。

幸せを感じる意識のバランス取るのは難しいですよねえ。

とこんなことを思いながら熱海に向かいました。

【熱海の友人に再会】

熱海のマンションからは海と花火が一望できる

アメリカの大学時代の友人に再会しました。正確に言うと友人の彼女だったのですが、別れた時に住んでいるドミトリが近く色々ぐちを聞いているうちに仲良くなって、それからなんと30年です。僕は女性の友人なんて日本では1人しかいませんし、たぶん今となっては男女問わず一番頻繁に連絡とっているので、大切な友人です。

彼女は米国の短大卒で日本企業でめちゃくちゃ安い給与で働いていました。たしか、僕が米国から帰ってきた時、僕は北海道の企業なのに、手取りが彼女の倍以上ありました。彼女は、そんな待遇に耐えかねて、外資系で営業職に付き、それから転職を何度もして、そのたびにどんどん収入が増えていき、今では外資系の小さいIT企業のトップ。日本の中堅会社の社長なんかよりずっと稼いでいるんですね。30年前にあまりにも収入が少ないので、マックで食べる時でさえ奢っていたのが懐かしいです。ただただ、リスペクト。

東京にコンシェルジュ付きの広いマンションを持っているんですが、熱海の海の前に温泉付きのマンションを購入してしまったんです。金あるよなあ〜。マンションは温泉付きで、窓からは海が一望でき、GWは温泉は24時間入浴可能で、しかもガラガラ。贅沢すぎます。

彼女とは、ひたすら歩きました。2日目に三島〜沼津、3日目にローズガーデン、4日目に城ヶ崎海岸に行きましたが、目的地につくととにかく歩く歩く。城ヶ崎では1日で25000歩もあるいてもうた。😅

ローズガーデンのカップルスポット席
全然バラが咲いてなかったローズガーデン

ローズガーデンは熱海からバスで20分くらいなんですが、あまりにも遅れていたのでタクシーで行きました。入場料が2000円もする割にはトホホでした。特にGW中はバラが殆ど咲いていません。熱海を訪れる際は、パスしていいと思います。

城ヶ崎海岸は必須の観光スポットですね。熱海から伊豆急で50分くらいです。実は、どこに行くか決めてなかったんですが、電車の中で適当にGoogleMapで行き先を決めましたがこれが大当たりでした。駅から海岸までは20分近くあるくのですが、この通りが超高級別荘群で、歩いているだけでも楽しかった。

城ヶ崎海岸

城ヶ崎は岩場がちな景勝地で歩いているだけで海の様々な表情が伺え、しかもあまり過保護な騰落防止柵などがなく良かったです。基本、危険な場所で怪我したり、死ぬのは自己責任です。米国などは自然公園でもありのままで、危険な崖なども殆どそのままでした。楽しむのも、怪我するのも自己責任です。お調子者が動画をアップするために崖から落ちて死んだとしても、それも自然の一部です。この環境を守ってもらいものです。

彼女とは、歩きながら色々話をしました。米国時代の田舎町での生活のことや、今後はいつ頃引退して、何をしていくのか。漠然と人生これで良かったのかなどということです。彼女は、今の会社を誰かに任せてから、日本に上陸する外資系企業のコンサルティングを今後はやっていくそうです。よくやるよなあ〜。まだ、疲れないのか😅。まあ、彼女は見た目は普通のおばさんですが、中身は昭和のモーレツオヤジを合理的にしたようなタイプなので、一生忙しくしていることが幸せなんでしょう。結論はありませんでしたが、お互い独身なので暇な時間を利用して日本を一緒に廻ろうという約束をしました。

今回は、僕の方がとても貧乏になってしまったので😅、何回は昔とは逆に奢ってもらいました….。

一つちょっと自慢できることがあります。彼女は、ゴルフの仲間がよく熱海に遊びに来るらしいのですが、皆体力が無くて呆れていると言っていたんですが、僕の体力にはびっくりしていました。僕は、熱海の坂を登っても全く息も上がらないし、筋肉痛にもならない。城ヶ崎で急坂を25000歩歩いた時も全く疲労は残らず、筋肉痛もありませんでした。離脱で筋肉痛と疲れを感じないのかなあ???

最後の日は、東京に帰る前に掃除しなければならないと朝の10時に追い出されました😅。余裕ないなあ〜。ということで、僕は次の目的地の箱根湯本に向かいました。

【箱根湯本】

箱根湯本は全然行く予定なかったんですが、熱海には子供カップルが多すぎて、どこに行ってもレストランが行列で1時間待ちとかなわけです。だから、Google Mapで近くの観光地でゲストハウスがあるところを探し、箱根湯本にAjitoという面白そうなゲストハウスがあることがわかり急遽訪問してみました。

箱根湯本は熱海→小田原をJR、小田原→箱根湯本は箱根登山鉄道で約1時間くらいでした。風景的には山間ののどかな温泉地なのですが、実はここも子供カップル天国でした。どうなってんだ?僕の若い頃は若者は温泉地なんて来なかったけどなあ〜。箱根湯本の混雑は、なんと熱海を上回っていました。レストランはどこも行列で、1時間待ちは普通。湯本とは全く関係ない普通のトラディショナルな喫茶店でも10人以上行列ができています。しかも、店は7時になると閉まってしまうということで、すぐにコンビニでお弁当などを買い、Ajitoに逃げ込みました。ちなみに、コンビニも5人以上並んでいて、弁当類も殆どありませんでした😂。

今日お世話になるAjitoは、シュールな宿でした。古民家と小さなビルを改造して作ったゲストハウスなんですが、オーナーの意気込みを感じさせる建築になっています。フロントは、昔の駄菓子屋みたいな佇まいなんですが、入ると受付&バーになっています。

海外のゲストハウスっぽいよね

チェックインは16時からで、僕が行ったのは12時でしたので誰もいませんでした。フロントの説明を読んだら、居間に荷物は置いておいていいということでしたが、フロントにあったブザーを鳴らすと1〜2分ころに若い女性スタッフさんがどこからか現れてチェックインさせてくれました。とても、感じの良い優しいスタッフさんで、風呂行くときは色々説明をしてくれて、シャンプーを貸してくれました。

フロントの奥は居間になっていて、昼寝ができます

ここに座って珈琲飲むとタイのアユタヤを思い出す

ベッドルームはアジトっぽい雰囲気満点、裸電球に怪しさを感じます

今まで泊まった海外のゲストハウスも入れて、なんと一番広いダブルベッド

ここに来て、ダブルベッドに横になったら、急に疲れが出た〜。南京虫事件から、ゲストハウスにはかなり神経質になっています。しかも、このゲストハウスはコロナ前は外人に大人気だったということで、なおさら南京虫が怖い〜。でも、疲れて珍しく1時間くらい昼寝をしてしまいました。

その後は、温泉に行く力もなくスタッフさんに、近くで混んでない風呂はないかと聞くと歩いて30mくらいのところにあると聞いて行ったのが、弥坂湯さんでした。入ると1人先客がいました。昔ながらのトラディショナルな銭湯っぽい雰囲気で「なんかいいじゃないか〜」と入るとシュールすぎる空間が….。こりゃ、いくらなんでも狭すぎるだろう。2人入ったらもういっぱいいっぱいの池みたいな風呂なんです。しかも、洗い場も仕切りも何もない洗い場が2つ。シュールすぎる….。

でも、お湯は温くて、泉質も熱海よりずっと良い。これはこれで楽しめました。

ゲストハウスは、宿泊者の殆どがアジア系外国人でしたが、とても静かで過ごしやすかったです。

でも、箱根湯本はもういいかな〜。とにかく、混みすぎです。😂

【実家訪問】

さて、最後に実家訪問です。これがなかなか重たかったです。

僕は、不眠症になってから親とは疎遠になっていました。別に喧嘩しているわけではないのですが、少しボケかけていた母親にいらない心配はさせたくないとだんだん電話もしなくなりました。離脱が酷い時は、電話なんてできるような状態ではありませんでしたし、やはりそういう自分を気づかれたくないと思っていました。私の母は自分から電話してくるようなタイプではなかったので、私から電話をしなければ音信不通です。

そして、昨年やっと少し元気になり、結婚も決まったので、良い知らせができると昨年9月に電話しました。母は「やっといい人が見つかったんだね。良かった。」と言ってくれました。そして、2月に離婚です。今回もGWに伊豆に行くことが決まったので、その前後で実家を訪ねることにしていましたが、どうしても連絡できませんでした。また、旅中で会社のスタッフで週に2度リアルにミーティングをしているマネージャがコロナに感染していることがわかり、僕は濃厚接触者ではなかったのですが、熱海もめちゃくちゃ人混みにいたし、感染させたらどうしようという迷いもありました。

5/4に箱根湯本のゲストハウスでゆっくり考え、姉に連絡を取り、最後に日に実家を訪れました。僕は庭先から網戸越しに2mくらい離れて母と4年ぶりに再会しました。

母は僕のことがわかりませんでした……。😔

にこにこしながら、「外で会ったらわからないね。」と照れ笑いをしながら、自分の若い頃の話をしていました。

実家は廃墟化していました。庭もジャングル化し、一時は人が入れない状態だったようですが義理の兄がとても良い人で庭の木を伐採してくれたようです。ゴミ袋50袋分のゴミがでたそうです。縁側は腐り果て、屋根もところどころ壊れかかっていました。4年間でこんなになってしまうのか……。

姉に事情を聞くと、環境を変えられるのが怖いらしく、庭の木を切るのも説得が大変だったようです。本当はケアハウスに入らせたいらしいのですが、本人が実家にいることを頑なに希望しているとのこと。しかし、手入れをしないと家というのはあんなになっちゃうんだなあ。

ニコニコしながら照れ笑いしている母を見ながら、僕はどうしていいかわかりませんでした。もう離婚したことはどうでもいいなと思いました。

30分くらい話をして、姉の家に戻り、義理の兄と世間話をしてから、お墓参りに行き、それから横浜のホテルに帰りました。

僕は実は故郷に帰って住めない理由があります。僕は故郷に帰ると体調が必ず悪くなるんです。これは、最近始まったことではなく、子供の頃からそうなんです。子供の頃からうすうすは感じていましたが、米国に留学からは、それがはっきりしました。米国では4年間殆ど病気をしなかった僕が、帰省すると必ず体調を壊すのです。しかも、その後もずっと体調が悪い。

それもあって留学が終わってからは、北海道で就職しました。しかし、帰省すると、必ずといっていいほど熱を出し何日も寝込んでしまうんです。とにかく、2〜3泊もすると必ず40度近い大熱を出し寝込んでしまう。それからは、両親にも事情を話し、近くに姉さんの家に泊まるか、隣町のホテルを利用していました。

子供の頃、嫌なことがあったわけではないし、両親に虐待されていたわけでもありません。裕福ではありませんでしたが、平凡で幸せな子供時代だったと思います。どうして、そうなるのか自分でも全くわからないのですが、やはり自分の身体が何かに反応し、地元に拒否しているのだと思います。何故かはわかりません。ただ、これだけは確かなのです。

だから、財産はすべて放棄し、両親は近くに住む姉に任せきりになっています。そして、この5年、不眠症に苦しみながら少しづつ疎遠になり、離脱がひどくなった4年前からは更に疎遠になり、特にこの半年間は結婚→離婚で殆ど連絡もしていなかったのです。親不孝にも程がある…. 。

別れ際に、お土産の北海道のお菓子の箱を大事そうに飾っていたのが瞼に焼き付いています。

僕にこれからできる親孝行は、たぶん電話を頻繁にすることなんだろうとは思うんですが、電話してもわかるのかなあ?お菓子を送っても受け取れるんだろうか?…..

痴呆の進んだ母に再会したのはショックでした。僕はこれから母にどうしてあげるべきなのか、しばらく考え込みそうです。😅

【旅をしてよかった】

最後は重たくなっちゃいましたが、3年ぶりに長旅をしたことは大正解でした。旅前と旅後では、元気度が全然違う。何か色々なことが吹っ切れたような気がします。

最終日に泊まった関内のリッチモンドホテル、なんと4500円!

友人2人、姉、義理の兄、そして痴呆の母などとゆっくり話をして、とても有意義な時間が過ごせました。これから何をしなければならないのか、どうすれば幸せに今より少しでも楽しくできるのかわかった気がします。

リッチモンドの下のカフェ、タイのスクンビットを思い出す

伊豆→熱海→箱根湯本→湘南→横浜と移動して僕の長旅は終わりました。僕の旅のバイブル、「深夜特急」では年老いて旅はするものではないというようなくだりがあったと思います。しかし、僕はそう思いませんでした。あれこれと考えているよりは、旅に出て、いろいろなものを見て、聞いて、人と話しているうちに、この歳になっても、まだ今までより広い視野が持てるようになり、頭の中で整理がつかなかったことも整理がついた気がします。

関内のとんかつ屋 めちゃくちゃ美味しいのに700円、札幌より全然安い。なんで?

伊豆のShigeさんが「父親が死んで思ったのは、死ぬとモノになっちゃうということですよ。後は何も残らないんです。」と言っていたのが印象的でした。「楽しめる時間なんてそんなに長くないんだから、楽しまなきゃ損なんだよ」と。僕も100%そう思います。

また、必ず長旅に出ます。

プッシュ通知を

不眠症旅 復活篇” への2件のフィードバック

  1. こんにちは。
    お元気そうでなによりです。
    今度来る時は清水にも来て下さいな。

    1. お久しぶりです。

      >今度来る時は清水にも来て下さいな。

      ぜひ、伺わせていただきますね。(^o^)

      ありがとうございます。
      ほたてじまさんは、もうすっかり元気になられたんでしょうか?

ほたてじま へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)