結婚→2ヶ月半で離婚→そして少し不眠症改善

実は、先週、離婚しました。

結婚してから一度も同居せず、2ヶ月ちょっとで離婚です。あまりにも奇想天外な恋愛だったので、ブログに記録しておこうと思います。

人の記憶はすぐに薄れ、愛情や悲しみも時とともにぼんやりとしたセピア色に変わっていきます。時が経ち、今を振り返った時、離脱の最中に、こんな大恋愛をしたなあと思い出したい。そんな気がするのです。

【衝撃的な出会い】

私は、2019年末に札幌から定山渓という温泉街に行く途中のスターバックスにいました。2018年7月から断薬を始め、やっと1週間に数日1〜2時間自然睡眠ができるようになったところでした。当時、首や肩の硬直が温泉で緩和するので、毎週のように温泉に通い、スターバックスで珈琲を飲むのが習慣になっていました。

その日は夕方で、店内に人影がなく、奥のソファー席を独占しリラックスしてようと店内に入って行きました。すると、若い女性が声を出してすすり泣いていました。僕は、ひと目でタイ人だとわかりました。

肩を揺らし、顔をくしゃくしゃにして、鼻水を流しながら涙を流していました。最初は、誰かと一緒だと思い、放置していたのですが、泣き声が大きくなり放っておけなくなり「大丈夫ですか?」と声をかけました。そして、スターバックスのナプキンを渡しました。それが彼女との最初の会話でした。

タイに馴染みがあったので、僕は、すぐに彼女がタイ人だとわかりました。それから、彼女は下手な日本語で1時間程、自分の境遇を話しだしました。日本人の旦那さんが、海外赴任から帰国後、すぐに肺がんでなくなり途方にくれていること、前夫をどれだけ愛していたかということ、8年間結婚していたが、日本に滞在していたのは1年くらいなこと、出国の手続きなどがわからないこと、所有している車の販売代金をどうやって受け取ればいいかわからないこと、銀行のお金が日本語がわからず下ろせないこと、在留カードの延長ができるかわからないこと、離婚したのに前夫の実家に居て親戚が変だと思っていないか心配なこと、国民年金のこと、なんで旦那さんが亡くなる前に離婚しなければならなかったのかわからないことなど、次から次へと私に話すのです。

1時間ほどですが、あまりにも情報量が多く、しかも話が飛び飛びになるので、僕の頭は混乱しました。彼女言ってることは本当なんだろうか?作り話か?これは、何かの詐欺なんじゃないか?僕は、奇想天外な彼女の話を聞きながら、そんなことまで考えました。

そして、散々泣いて、話し終わると、さっぱりしたのか、用があるから帰ると言ってさっさと帰宅してしまいました。帰り際、帰国まで相談する人がいないので、連絡を取らせて欲しいと連絡先を交換しました。

私は、あっけに取られました。何だったんだろう、今の会話は?それが彼女との出会いでした。彼女がいなくなった後、私はなにか犯罪に巻き込まれたのではないかと、怖かったのを覚えています。

当時の彼女は27才。びっくりしたことに、20年前に離婚した前妻に年齢、背格好、顔がそっくりでした。これにはかなり、面食らいました。

当時、彼女は、不安と悲しみで、やつれて本当に辛そうでした。その後、何度か会って食事をしても、彼女はチューハイを飲むだけで何も喉に通らないと言っていました。細身の彼女は、会ったからもどんどん痩せて行きました。昨年まで離脱に苦しんでいた私は、このままにしておいたら、彼女は自殺してしまうかもしれないと本気で思いました。

そのあと、数日電話で話すうちになんとなく彼女の事情が分かって来ました。とにかく、帰国までは、身の回りの整理を手伝い、無事に故郷のイサーンに帰そう思いました。

その後、彼女がタイに出国する1ヶ月間くらいの間、役所や銀行の手続きを手伝ったり、郵便局に荷物を送ったり、お土産を買うのにつきあわされたりしました。私のマンションから彼女の家まで20kmもあります。これを約1ヶ月間、毎日のように往復させられました。

彼女は一般人の理解を超越した我が侭で、気が強く、がめつく、乱暴で、短気で短所だらけの性格でした。しかし、純粋で飾り気がなく、優しいところもありました。彼女はよく、前夫のことを思い出し、酔っぱらい、嗚咽しながら号泣していました。僕はそんな彼女を見て「こんなに純粋に人を愛せるものなのか」と心を打たれたものです。私もなぜか悲しくなり、何度か貰い泣きしました。

離脱は、人の感情、感覚、感性を奪い、無関心、無感覚状態にしてしまいます。血が通っていない人形のような状態になっているのを自分ではっきり感じるのです。私は、全く会ったことの無い人の死を彼女と一緒に悲しみ、大いに泣きました。そして、その時、離脱から感情を取り戻し、生き返った気がしましたのを覚えています。彼女の登場で僕は離脱から少しだけ解放された気がしました。

しかし、たった1ヶ月一緒に行動しただけですが、彼女に感じたのは、亡くなった男性は、こんな女とよく暮らしていたなあということでした。その頃の僕はまだ正常だったのだと思います。

彼女は、とにかく我が侭で自分勝手、そして、定期的に、私に苦言や文句を吐き続け、カンシャクを起こし、徹底的に苦しめるのです。前夫にも同じことをして苦しめ可愛そうだったと、彼女は何度も私に説明してくれました。普通の人が聞いたら、なぜそんなことをするのか理解ができないでしょう。私も当時できませんでした。しかし、こういう状態が毎日続き、外界をシャットダウンされると、それが愛情の表現だと勘違いしてしまうのです。

前夫は殆ど海外勤務だったらしく、結婚して8年も経つのに同居をしたのは1〜2年だったと聞きました。おそらく、我が侭すぎて同居ができなかったのだろうと思います。同居していたら、仕事など全く手につかなくなります。また、喧嘩が絶えず、3ヶ月もしたらタイに帰国するでしょう。そして、またひょっこり戻ってくるような生活をしていたに違いありません。それで、普段は別居し、長期休暇のときだけ日本やタイで一緒に過ごしていたのでしょう。亡くなった前夫は、よほど人間が出来ていたのだと思います。彼女のために一生懸命働き、やっと日本に帰国して、殆ど何もせず彼女を残して亡くなった彼の無念さを思うと、切なくてたまりませんでした。

2019年12月中旬、彼女が帰国する日、車で千歳空港まで送りました。彼女は、日本を離れる前日も大酒を飲み、大暴れした挙げ句、嘔吐しキッチンでぶっ倒れました。彼女が目を覚ますと、また梅酒を飲むと言い出したので、明日遅れたら大変だから、もう飲まない方がいいよと注意すると爆発し、真夜中に急に空港まで一人で行くと言い出しました。そして、服を着替え、スーツケースをパッキングし、0時半にタクシーとホテルを取ってくれないと大声を出すと言って聞かないのです。僕は、仕方なくタクシーを呼び、札幌駅近くのホテルを予約しました。マンションのロビーまで降りていき、タクシーが来ると、やはり行かないと言い出すのです。僕は、タクシーに謝り呼び寄せ料のみ支払い、ホテルにもキャンセル料を払って謝りました。このメチャクチャな迷惑行為が、彼女のすべてなのです。

最後の夜は、喧嘩で夕食も取りませんでした。朝まで何時間もなだめ、2〜3時間ほど睡眠を取り、空港まで車で送っていきました。空港まで、一言も話さずに送っていきました。いったい、この女の頭はどうなっているんだろうか?そんなことを、車の中で考えていました。

空港では、殆ど話さず、もう会う約束はしませんでした。こんな女と一緒にいたらトラブルに巻き込まれるだけだ。そう思いました。そんな奴でも別れは、少し寂しい気もします。しかし、こんなのと一緒にいたら、生活がめちゃくちゃになってしまう。だから、僕はもう会わない方がいいだろうと思っていました。彼女は、別れの言葉も殆どなく、タイに帰国しました。バンコクについてから、「ごめんなさい。あなたがいなかったら、とてもたいへんだった。ありがとう」とメッセージが来ました。バンコクについてから、彼女は300kmくらい離れた自宅のあるイサーン地方に帰りました。

【タイで再開】

私は、2019年の年末年始にパタヤに旅行する予定がありましたので、年末年始はタイで過ごしました。すると、彼女から連絡があり、パタヤに会いに行くというのです。僕は会っても大丈夫かと少し迷いましたが、正直、彼女の素直さが嬉しかった。

彼女はイサーンからパタヤまで車を運転して、わざわざ私に会いに来てくれました。もう、会うことはないだろうと思っていたので、とても嬉しかった😃。僕は、パタヤでリラックスし、離脱療養が目的だったので、殆どどこに行く予定もありませんでした。タイでは彼女と1週間ずっと一緒に過ごしました。あの1週間は、本当に夢のように楽しかった。

パタヤで過ごした後、最後の3日間、彼女の住むイサーンの自宅に招かれました。しかし、2日目に何かが彼女の逆鱗に触れ、私は大晦日に彼女の実家から追い出されました。彼女の家族や周囲に住む親戚は唖然としていました。いや、今思うと、周囲の人達は、あの娘、またやってるわと思っていたに違いないのです。そして、僕はバスで300km以上離れたBKKに一人で帰りました。BKKで1人で大晦日を過ごし、1月2日に日本に寂しく帰国したのです。天国から地獄です。

2日の帰国便は、搭乗客もまばらでした。自分は50代半ばにもなって、なにをやってるんだろうと情けなくなりました😫。

【帰国後3ヶ月で2度来日】

帰国後、たまに連絡をしていましたが、もうさすがにもう会うことはないだろうと思っていました。あれほど、酷い喧嘩をしたのだから、私から会いに行く以外はもう2度と会わないだろうと思いました。

しかし、彼女は1月に突然、タイから日本に私に会いに来ました。あれだけ悪態をついておいて、これです。やられました。

コロナの感染爆発が起こり行動制限がかかるまで、彼女は3月に再度来日し、2度もタイから日本に僕に会うためだけに来てくれました。パタヤを含めると3回目です。僕は、完全に恋に落ちました。

滞在中は、彼女の大好きな大通りと北海道神宮には何度も行きました。登別、支笏湖、洞爺湖、小樽などにも泊りがけで出かけましたが、彼女は僕のマンションに居るのが好きで、会社から帰るとマンションでずっと話をして過ごしました。

日本では、彼女とは正味1ヶ月半程一緒に暮らしました。何度も大喧嘩をして、彼女は泥酔し大暴されて、困り果てましたが、とても楽しい毎日でした。彼女は、喧嘩をするたびに、前夫のことを思い出し号泣していましたが、僕はそんな彼女が大好きでした。

僕は彼女に不眠症や離脱のことも正直に打ち明けました。彼女は、それを受け入れてくれました。とはいえ、その後、2年間、離脱で具合が悪く横になったりしていると、カンシャクを起こし、「けんこうなおとこがほしい」となんどもなじられました。だって最初に打ち明けただろうと、話してもそれが彼女なのです。

当時、彼女は殆どアル中でした。ほぼ毎日、ビールを2L、酎ハイを3〜4缶飲んで酔っ払っていました。身体に悪いから休肝日にしようとか、酎ハイを2本にしておこうなどと言おうものなら、4〜5時間カンシャクを起こされます。マンションで大声を出され困ったことも何度もありました😫。キッチンで嘔吐して、そのままぶっ倒れたこともたびたびです。こんなメチャクチャな人間を僕は見たことがなかったので、何か新鮮で面白がっていたのかもしれません😅。

【2年間の遠距離恋愛】

2020年3月以降は、コロナで遠距離恋愛になりました。しかし、ほぼ毎日20回くらい電話を掛け合い、何でも話しました。朝起きて1回、シャワーのときに1回、朝食中に1回、就労前に1回、昼に1回、3時に1回…..、こんな感じで相手から10回以上はかかってきます。私も同じ回数以上電話を返さないと、日本人は冷たいと、また喧嘩になるのです。そして、夜9時から1時くらいまではビデオ電話を繋ぎっぱなしです。1日、少なくとも4〜6時間くらい話をしていました。本当に毎日です。異常ですよね。そう異常なのです。コロナ禍で会社の人や友人、家族と会うことも殆どなくなり、僕は、彼女の呪縛にかかっていたのです。

遠距離恋愛は、「Loveモード」と「Fightモード」、それに「絶縁モード」の繰り返しでした。必要以上にラブラブな時間が2週間ほど続くと、2〜3日機嫌が悪くなり必ず別れ話を始めます。そして、運が悪いと1日、2日絶縁します。3ヶ月に1回ほどは、何かに文句やなんくせをつけてきて、大きな喧嘩に発展します。そうすると、3〜4日連絡が取れなくなります。遠距離恋愛中は、Line、Facebook、imessageなどのアカウントを何度かdeleteされました。しかし、突然、真夜中に電話をかけてきて、号泣しながら「ごめんなさい」と謝ってくるのです。これを2年間永遠と繰り返し、こちらもパターンを覚えてしまいました😅。

喧嘩をすると、ビデオ電話を通して、他の男に電話したりする嫌がらせも得意でした。本当に迷惑な女です。しかし、時間が経つとケロッと治るのです。不思議な女性でした。今、思うと明るいメンヘラ女なのかもしれません。

しかし、彼女もこの2年間で少しづつ落ち着いてきました。以前ほど暴飲しなくなり、喧嘩も以前ほど激しくはしなくなりました。我が侭も忍耐の限界の3倍くらいのレベルで収まるようになりました😅。

結婚の話は何度か出ていましたが、私は自信がありませんでした。なぜなら、彼女はすぐに決めたことをひっくり返す癖があったからです。コロナが落ち着き、もう一度会ってから一緒に結婚の手続きを始めたほうが良いだろうと考えていました。

【結婚の手続きを始める】

「一緒にいたいから結婚の手続きを始めて欲しい。」と言い出したのは彼女の方からでした。2021年8月のことでした。自分からタイ人のForumで情報を集め結婚手続き支援の業者を見つけてきました。彼女がその気になったのなら、今度は大丈夫だろうと僕は思いました。

そして9月から業者と契約を結び、結婚手続きの膨大な書類作成に取り掛かりました。2ヶ月後の11月、やっとのことで結婚の手続きが終わり、次にVISAを取るために入国審査に必要な書類を用意する段階になりました。この入国審査が難関で、時間も1〜3ヶ月もかかるのです。

入管に必要な書類を作成するために、彼女に連絡すると、いつもの我が侭を言い出し、なかなか協力してくれません。そして、またカンシャクを起こし、離婚すると言い出したのです。それでなくても仕事で忙しい年末なのに、入管の書類を作るのに何度も役所に出向かなければならず、彼女のカンシャクに付き合っている暇ありませんでした。彼女のカンシャクはエスカレートし、勝手に業者の手続きを止めてしまいました。そして、私の仕事中に何度も電話をしてきて、永遠と悪態をついてくるのです。このままでは、仕事も手続きも進まない。私はたまりかねず、1週間ほど彼女の連絡を無視しました。これが2人の間に決定的な溝を作ってしまったようです。その後、僕から連絡しても電話にも出ず、メッセージも返ってこなくなりました。

連絡が取れて、いくら謝っても、僕がどんなに悪い男で、この2年間が彼女にとってどれほど無駄な時間だったのかを繰り返すだけで、とにかく離婚がしたいと言うのです。

【離婚】

しかし、僕は、さすがに結婚の手続きをして1ヶ月も経っていなかったので、また、いつもの喧嘩だと思いました。しかし、そのうち全く連絡が取れなくなってしまいました。1月になって何度か連絡を取り、説得したのですが、彼女からは離婚の話しかしたくないとの一点ばりでした。その頃から、彼女は本当に離婚したいのかと思うようになりました。まさか….。

結婚手続きをして、まだ一度も一緒に暮らしても居ないのに2ヶ月で離婚…..。そんなことあり得るのか?!

昨年の11月の下旬でしょうか、ある程度何があったのか想像はできます。結婚手続きが終わり、カンシャクを起こし、話をしなかった1〜2週間の間に何かがあったのです。タイ人は刹那に生きているのです。考えてみれば、よくも2年間も遠距離恋愛が持ったものです。

僕にも責任はあったと今になっては思います。彼女は2年間早く会いたいと何十回も電話で泣いていました。しかし、体調や隔離などの期間を考えると、仕事をしている僕は、タイに行くことはできませんでした。そのことでも、何度か喧嘩をしたものです。彼女はコロナ前に3回も私に会いに来てくれたのに….。これが許せず、結婚手続きの最中に他の男に乗り換えたのだと思います。

この2年間は幻だったのだろうか?私は呆然としました。こんな簡単に2人のきずなが壊れる訳がない。信じられませんでした。

1月に、2週間ほど、入館手続きを再開して欲しいと頼まれ、入管手続きを進めたことがありますが、再び連絡が取れなくなってしまいました。手続きをしている間も、以前のように話をしたがりませんし、ビデオ電話をしたがりません。この頃から、彼女の心の中に、私はもういないことを感じ始めました。おそらく、新しい彼氏と喧嘩して、私を利用しているのだろうと理解しました。そして、そのうちまた連絡が取れなくなりました。僕は完全に諦めました。もう怒る元気もしなくなりました。仕方ないが、離婚しようと僕は決心しました。

家族や友人、会社に11月に結婚を報告しました。まだ3ヶ月も経っていないのに、今度は離婚を報告するのです。しかも、婚姻届をした同じ窓口に、今度は離婚届を出しに行かなければならない。去年の大晦日から、僕は本当に離婚するのだろうか、どうして彼女は離婚したいのだろうか?などと、ずっとグルグル思考が続き、しばらく、とても落ち込んでいました。

離婚の手続きを進めるために、まずは日本の離婚を進めました。婚姻届を作る時と違い、離婚届を作るのは楽しいものではありません。しかし、重い腰を上げ、周囲や家族に報告してから日本の離婚届を今週提出してきました。びっくりするほど、簡単にすみました。

日本の離婚届を済ませると、タイ側の離婚届を今度は彼女が進める番です。タイ側の離婚届をするために、日本側で用意しなければならない、いくつか必要な書類があるのです。そこで、何度か彼女に連絡したのですが、なかなか電話にでませんし、メッセージにも答えません。電話に出ても、あなたと話したくないと悪態を付き、以前口論したことを引っ張り出し、なんくせを付けてきます。もう、恋人でも夫婦でもないのだから、手続きの話だけをしようとなだめるのですが、永遠と私がどんなに悪い人間なのかを言い続けるのです。本題の書類の話をするために、先週から4〜5回電話しているのですが、結局、なんの書類が必要なのか一度もその話に辿りつけないのです。日本の離婚届を出すまでは、僕は彼女の我が侭を我慢して、なんとか離婚してあげようと、まだ思っていたのだと思います。

先日、離婚届を札幌市役所に出してきました。深い溜息、後悔、悲しみ、喪失感….、しかし、何かさっぱりした気もしました。

昨日は、彼女から朝に4回、夕方に1回、電話がありました。しかし、もう電話には出ませんでした。その後、メッセージで「はなしたくないは、おなじ。あたしもはなしたくない。りこんのドキュメントだけ」というメッセージもありましたが、何か返すと永遠と悪態を付かれるので、何も答えていませんでした。僕の中で彼女との関係は完全に終わりました。

突然、電話も通じず、メッセージをいくら送っても返事も来なくなったのが昨年の12月。たまに、連絡が取れても、ずっと悪態と文句ばかり聞かされ続けてきました。精神的に、とても辛かった。しかし、それでも、僕は彼女とコミュニケーションを取れるのが嬉しかったのかもしれません。しかし、今は、彼女の悪態や文句が苦痛以外のなにものでもありません。僕も心のチェックアウトがようやくできたようです。

来週、離婚が反映された戸籍謄本が有効になります。それにタイの日本大使館宛の必要書類を同封し、彼女に送ってすべてが終わりです。書類が用意できたら写真をとって、彼女に無言で送ります。もうこれ以上、彼女と話をしたくありません。

【とても幸せだった】

家族も友人も、そしてブログの読者も、彼女は酷い女だと思っているでしょう。僕も同感です。

しかし、僕は彼女を不思議と憎んではいません。結局、彼女とは離婚する時まで大喧嘩をして別れることになってしまいました。彼女らしい別れだと思います。いったい、なんで喧嘩しているのか今回も理解できませんが、それもいつもと同じです。それが、彼女そのものなのです。

しかし、一緒に居た時間は今まで会ったどの女性よりも、分かりあえた気がします。多分、錯覚でしょう。でも、愛は錯覚だと僕は思っています。一緒に居た時間は、紛れもなく今までで一番幸せでした。

彼女は喧嘩をして別れ話をする時に、いつも「新しい生活を始めたいからあなたはいらない」と口癖のように言っていました。新しい生活には古い男は邪魔だと言うわけです。毎月大喧嘩した時に言っていたあの言葉は、本心だったのかもしれません。

負け惜しみみたいに聞こえるかもしれませんが、僕は幸せ者だったと思います。50代後半になって、こんなに激しい恋愛ができるなんて思ってもいませんでした。しかも、当時は断薬後2年目で離脱の真っ最中の初老病人です。そんな男が、恋愛で、あんなに泣いて、笑って、怒って、悲しむことができたのです。ちょっと疲れましたが….😅。

もう、会うことも、話すこともないだろうけど、2年間をありがとう、本当にそう思います。

【睡眠と離脱】

離婚が決定的になった2月から、僕は再び眠れるようになりました。悲しさや辛さは、2月初旬が一番きつかったかもしれませんが不思議ですね。

離婚自体は悲しい出来事です。しかし、この2年間、僕は1万人に1人くらいしか経験できないことを経験できました。コロナの真っ暗闇の光を差し続けてくれたのは、間違いなく彼女の存在でした。オミクロンがピークアウトし、コロナが終息しようとしている今、彼女はふと目を覚まし、新しい生活を選んだのでしょう。コロナとともに現れた、彼女はコロナとともに去って行ったのです。

僕もコロナや離脱、不眠症を乗り越えて新しい生活を始めようと思います。正直、何をすれば良いのかわかりません。ただ、自分から一歩を踏み出さなければ、何も変わりません。

離婚することを自分が受け止められるようになってから、眠気を感じるようになった気がします。夜11時過ぎになると、おそらく逃避的に眠気を感じるようになりました。なんのやる気も起こらず、映画やテレビも観たくない。週末は開いた時間が怖くて、やたらと片付けをしたり、DIYをやったり、身体を動かすようにして時間を潰しています。それがよかったのか、毎日よく眠れるのです。

コロナが収束したら、生活を変えようと思います。2年前、彼女が現れなかったら、僕は、アフターコロナでも、札幌で面白くもない在宅ワークをずっと続けていたでしょう。彼女が現れ、居なくなった今、僕が無理して在宅ワークと憂鬱になる厳冬の札幌を我慢する必要はなくなりました。だから、これからどこに住み、何がしたいのかをゆっくり考えたいと思います。

これからは、不眠症も離脱も、もう1段階、良くなっていくような気がします😊。

プッシュ通知を

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)