今日は僕の不眠症歴についてお話したい。僕が睡眠薬を常用するようになったのは2011年5月からで、そこから不眠と体調が少しづつ悪化し、2015年くらいから崖から落とされるように最悪のレベルに向かっていった。
僕は、不眠の酷さのレベルから自分の不眠症レベルを上記のように6つに分けている。
レベル1〜3までは、睡眠薬を服用していればなんとか日常生活は送れるが、旅行に行くときなどに少し不便な程度だ。最初は、短時間でも眠ってスッキリしたいからという理由で睡眠薬を常用していた。しかし、ある日気づいてみると眠剤を飲まないと明け方まで眠れないのだ。不思議に思ったが、絶不眠になるのが嫌だったから、次の日からまた睡眠薬を常用するようになった。これを繰り返しているうちに、だんだん睡眠時間が減ってきた。
この時点では、各種の軽微な体調不良があったかもしれないが、それが睡眠薬が原因だとは夢にも思っていない。時間のある時に、昼寝を試すがやはり眠剤を飲まないと眠れない。しかし、夜は眠剤さえ飲めば眠れる。眠剤は、2週間〜3ヶ月くらいで殆ど効かなくなるが、増量したり、組合せを変えたりして、なんとか6時間くらいの睡眠はキープできていた。
レベル4になると、日常生活を70%くらいしかこなせなくなってくる。まず、旅行はいつものようにはいかなくなるし、楽しくない。旅行に行っても、眠れずにホテルにこもっていることが多くる。会社も1ヶ月に1度くらいは体調不良で休むことになる。このステージからは、体調が悪くなり、軽いうつ状態になるのだが、不眠が急激に悪化してくる頃なので、本人は医師の言うように不眠と加齢、ストレスが原因だとまだ思っていた。この頃から、喜怒哀楽がなくなり、無表情になったと思う。生きているのがこの辺りから辛いだけだった。
レベル5になると、もう日常生活は送ることが難しくなる。日常生活は50%くらいしかこなせない。僕はレベル5の2017年はおそらく、病欠で30日くらいは休んでいた。だんだん、うつ状態が重くなり、医師の言うようにうつ病が原因で不眠になっているのだと思っていた。この頃になると、1日2時間、眠れれば良い方で、30分くらいしか眠れないこともある。3日に1日くらいは絶不眠で、自分の人生に絶望し、ますますうつ状態になっていった。この頃から、肩の硬直、慢性便秘、低体温症が最も辛い体調不良となり、睡眠薬を増やしても、替えても睡眠を取れなくなってくる。薬を限界まで飲んで眠れなかったらどうしようという追い詰められた気持ちをどこにも吐き出せず、どんどん孤独になっていく。
レベル6になると、睡眠時間はほぼ0になる。眠れて1時間というところで、月の半分以上は一睡も眠れない。日常生活は、もう3〜4割しかこなせない。多くの方は、レベル5〜6で寝たきりになってしまう。僕は無理矢理働き続けたが、最悪期は会社に相談して、勤務時間を5時間くらいにしてもらっていた。しかし、会社に行って2〜3時間で全身が痛くなり、何度も雪の降る厳寒の屋外にウォーキングに行っていた。正に生き地獄とはこのことだった。
ステージ6は、ステージ5の身体的、精神的不調に加えて、最終的にはアカシジアに陥る。これは、今まで体験した病の中で最も恐ろしい症状だった。ありとあらゆる肉体的な不調に加え、頭と心が完全におかしくなってしまった状態になる。理由の無い恐怖に襲われ、心臓がバクバクし、頭が締め付けられ、居ても立ってもいられず、24時間中動き回っていないといられなくなる。僕はアカシジアになった2週間は、何度も希死念慮に襲われる。人生で初めて自殺を真剣に考えた2週間だった。しかし、それもすべて睡眠薬が起こしていた医源病だとは…..。未だに信じられない。
医師は、不眠には入眠障害、中途覚醒、早朝覚醒、熟眠障害などの4つのタイプがあるなどと言う。しかし、不眠症のタイプはどの眠剤を処方するための魔の無限ループの階段のようなものである。
眠剤は、短時間型のハルシオン、マイスリー、中間型のデパス、ベンザリン、ネルボン、ユーロジンなど、長時間型のクアゼパム、フルラゼパムなどがあり、入眠障害なら短時間型、中途覚醒なら中間型、早朝覚醒なら長時間型と処方される。患者の不眠の病原などは関係ないのだ。医源不眠症に眠剤を処方するのは、火に油を注ぐようなものである。そして、その都度にGABA受容体が損傷を受け、処方された眠剤で、不眠も短期→中期→長期と悪化していくのである。
私の場合、離脱らしい離脱は、2016年まで発症していなかった。これがかえってベンゾの常用を長引かせ、不眠を悪化させてしまったのだととても後悔している。
睡眠薬を常用した後で、断薬するのは非常に難しい。おそらく、殆の人は、どん底を経験しないと決心できないのかもしれない。このブログに辿りついて方の中で、上記の不眠ステージを体験している方はこの先同じような眠剤処方で本当に回復するのかを一度よく考え直してもらいたい。