ハルシオンとデパスの減薬実績をグラフにしました。
減薬の主な概要は以下の通りです。
- 期間:2018年7月28日〜2019年1月11日(正味6ヶ月)
- 減薬開始時の服用睡眠薬: ハルシオン0.25mg(最大常用量0.5mg) デパス1.5mg(最大常用量 3mg)
- 減薬方法:水溶タイトレーション→カット→てきとー→一気
- 過去8年間の主な処方薬: ハルシオン、デパス、マイスリー、ルネスタ、サイレース、レンドルミン、リフレックス、セロクエルなど常に2〜3種類を服用
- 直接のきっかけ:内海聡さんの「睡眠薬中毒」
減薬の直接のきっかけは、内海聡さんの「睡眠薬中毒」だった。読みやすく、断薬するきっかけは与えてくれたが、彼自信何を目指して、何が目的なのかよくわからないこと、あまり不眠症について医療経験が深いとは思えず、そして患者目線になった減薬・断薬の方法を提案しているとも思えない。書籍としてはお勧めしませんが、僕にとっては減薬・断薬の直接のきっかけを作ってくれたのは確かだ。
この本を注文したのが7月26日。書籍が届くまでの一日で、benzoinfojapan.com
の情報を2日間かけて熟読し、28日に「睡眠中毒」を読んで8年間精神科医に騙されていたと熱くなり、その勢いで減薬に踏み切った。
減薬の進捗をグラフで見ると、デパスは11月までは順調に進んでいるが、12月に停滞期を迎えている。グラフは各月の1日の値をプロットしているので、日々の減薬の波はグラフではよくわからない。この前後の期間、だいたい10月下旬から12月は離脱が悪化し、減薬はステイ、増薬、減薬の繰り返しだった。
デパスは、半減期が短く、10月後半から1日の服用量が1.5mgの半分の0.75mgを切ると、服用間離脱が顕著にでた。どうにか服用間離脱を緩和するために、4回復用を5回にしたり、少量増薬したが状態は一向に緩和されなかった。そこで、12月6日に思い切ってデパスは一気断薬した。これで少し、離脱症状は緩和された。
ハルシオンの減薬は、睡眠を維持したかったので11月まで0.25mgでステイしていた。減薬を始めたのはデパス減薬後4ヶ月目だった。当初は、デパスを断薬してから、ハルシオンの減薬を始める予定だった。しかし、デパスの減薬に手こずっていたので、デパスを少し増薬し、ハルシオンの減薬を始めた。ハルシオンは、常用していても既に入眠できなくなってきており、平均睡眠時間は2時間程度にまで減っていた。ハルシオンは、特に入眠に効果がある。更に効果はMaxで2時間なので、ハルシオンを断薬したら2時間の睡眠も絶たれるという恐怖感はやはり大きかった。ハルシオンの減薬を進めていくと、離脱は悪化していった。8〜10月までは2大離脱の便秘、肩の硬直が7〜8割消えていた。デパスの減薬が届こうって来た頃から肩の硬直が復活、ハルシオンの減薬で便秘も復活し、食欲も殆ど無くなってしまった。
ハルシオンの減薬は辛かった。おそらく、デパスの減薬の離脱も少しづつ発症してきているのかもしれない。
ハルシオンは、半減期が極端に短く1〜2時間しかない。だから、日中の服用間離脱を緩和するデパスで行った服用分配法は取ることができなかった。
12月に入り、ハルシオンもデパスも減薬は滞ってしまった。考えた挙げ句、12月16日にデパスの残り0.5mgを一気断薬した。
これには理由がある。それは、デパスの減薬初期に1日目で一気に0.5mgを減薬した。これはめまいとふらつきが何日か続いたが、離脱のメインである肩の硬直と便秘は1週間くらいで急激に良くなった。そして、睡眠も改善した。こういう成功体験があったから、残りの0.5mgを一気に断薬した。
減薬初期に味わった減薬の効果は、残念ながら無かった。ただ、デパスを断薬前に比べてそれ程離脱が悪化したかと言われるとそんなことはなかったと思う。
その後、ハルシオンの減薬を離脱に耐えて愚直に行った。離脱は少々悪化しているかのように思えた。特に肩の硬直は酷かった。そして、12月下旬になると、2時間の睡眠時間も取れなくなり、絶不眠優位の夜が続いた。どうやら、ハルシオン0.18mgを下回ると入眠できなくなるようだった。この先、少しづつ減薬しても、一気に減薬しても、結局絶不眠に変わりわ無い。今のペースだと、ハルシオンの断薬が終わるのは、2月中旬〜下旬だ。もう絶不眠に耐えるのは限界だった。そして、1月11日ハルシオンの断薬に踏み切った。
そして、その後、絶不眠は64日間連続で続いた。断薬後、2週間で便秘は完全に解消した。肩の硬直は2ヶ月間悪化した。そして、65日目に、たった5分だが自覚睡眠を記録した。肩の硬直は、61〜63日目が最も酷かったが65日目には5割方一気に解消された。