断薬後397日目 2時間自然入眠

昨夜は、雪まつり最終日に行って、家に帰り、風呂にはいって24時に就寝。7時に起床。5時位に既に目が覚めていたが、おそらく2時間くらいは眠ったような気がする。

脈拍数は68、62でアロチノールを飲んでいたいので少し高めだが、許容範囲だ。そういえば、最近、身体が火照ることがほぼ無くなった。どちらかというと朝は肌寒い。正常に戻っている証拠だと思う。1年の中で、2月は札幌は一番厳しい季節だ。ところが、2月は自然入眠がもう4日程ある。ここに来て、身体の痛みも少しだけ取れてきた。

札幌は、2月の1週目、2週目が最も1年で厳しい季節である。夜はマイナス10℃を下回り、最高気温がマイナス5℃以下になることもある。今年も先週から今週にかけてそういう厳寒日があった。しかし、今日から春めいて最高気温がプラスになるようで、日の光はもう春めいている。

この一番辛い季節なのだが、今年は一度もホットカーペットを使っていないし、耐えられない寒さも感じない。冬季うつという言葉を2年前に初めて知ったが、あれも結局は、僕にとっては薬の離脱だったのだ。

医者のでたらめや、ネットが発信する医療関係サイトの情報は、本当に嘘ばかりだ。薬が作った体調不良にすべて名称をつけ、さも治療が必要な病だというような情報を提供する。しかし、私がこの10年で経験した精神的、身体的な不調は、殆どすべてが睡眠薬の離脱だった。最近、特に感じているのはヘルニアとして診断され、もう持病化していた腰痛も実は睡眠薬の離脱だったのではないかということだ。おそらく、現在でもレントゲンを取れば、私の腰にはヘルニアが残っていると思う。しかし、断薬後、腰が痛いと感じることが全くない。これはどういうことなのか?ヘルニアになったのは25年くらい前だったが、そのときも確か、頓服ではあるが睡眠薬を飲んでいた。おそらく、今のようにハルシオンではなく、ベンゾの前に流行っていたトランキライザーではなかったかと記憶している。おそらく、グアムやハワイに遊びに行ったときに大量に購入し、眠れない時に頓服薬として1/4とか服用していた。ストレスが多い、新米のコンサル時代にはプレゼンなどの前に、トランキライザーが強い味方だった。

ヘルニアがあったのは事実だが、そのヘルニアから痛いかどうかは、また別問題だ。私は、離脱で背中が痛くて仕方の無い時に、整形外科でレントゲンで見ると脊柱側弯症だと診断されたことがある。しかし、断薬したらその痛みも全くなくなった。整形外科的になんと診断されても、それが痛いかどうかはまた別の話である。痛みを発するのは、患部の周囲の筋肉がこわばるからであり、そのこわばりができ、それが神経を刺激するからであり、それがなければ、痛みは発症しないのだ。

私の私見だが、不眠症は病ではない。ストレスや過労で一時的に眠りずらい状態になっているだけで、自然治癒に任せるべき、身体や心のアラートの一種なのである。仕事でストレスがたまり眠れない場合は、仕事をこれ以上してはいけないというアラートを身体が発信しているのである。こういうときは、仕事の量を減らすか、休みをとって、仕事のことを一切考えないようにするなどして、自然に眠れるような状態を自分で作るべきなのである。睡眠薬などを使って、眠れる状態を無理に作ろうとすること自体が間違っているのである。

私は、薬の離脱からうつ状態にはなったが、もともと精神疾患があるわけではないので、メンタル系の病には詳しくない。しかし、向精神薬を服用した時に経験した副作用、離脱は、睡眠薬のそれより酷かった。そう考えると、メンタル系の疾患も服用して、一時的には元の状態より悪くなることはあっても、良くなることは無いと思う。3ヶ月もすると薬が効かなくなり、増薬や変薬しながら脳がどんどん劣化していき、精神的にも、肉体的にもどんどん悪化していくのは、睡眠薬と同じではないのだろうか?少なくとも私の場合は、服用後、「少しマシになる→副作用→常用離脱離脱→増薬→離脱悪化」のプロセスは睡眠薬と全く同じであった。

睡眠薬、向精神薬を両方服用して、結論づけたのは、不眠症は薬で治療してはいけないということだ。1度服用して、3ヶ月も常用が続くと、その後、生き地獄のような10年、15年、20年…..が待っているだけである。

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