「断薬を決意したきっかけは?」
よく、こんな質問をされる。今日もコメント欄で同じ質問をされた。
答えはシンプルで、離脱に耐えられなくなったからである。
2011年から睡眠薬を常用して10年間、「僕の不眠症は、もしかしたら睡眠薬が原因なのではないか?」と何度か思い、断薬し1週間程絶不眠に耐えたが、眠れるどころかどんどんハイになり体調が悪くなり、最終的には睡眠薬をガブ飲みして眠り、次の日からまた睡眠薬を常用した。そんなことを10年間で数回試したが、睡眠薬無しでは一度も眠れることはなかった。
その頃は、体調が悪いのは不眠や年齢のせいだと思っていた。断薬した時にうつ状態になり、心拍数があがり、吐き気がして、背中や肩が痛くなるのも不眠が原因だと信じ込んでいた。
離脱の存在と離脱の恐ろしさに気付かされたのは、実は睡眠薬ではない。タイで睡眠薬の代わりに処方された大量の向精神薬だ。この頃の記録は、2017年7月からのブログを参照してもたいたい。
強い向精神薬を4種類、合計6錠も処方されたことで、副作用も減薬後の離脱もとんでもなくきつかった。苦しくて本当に自殺したかった。しかし、あの経験がななかったら、離脱の存在は「日本の精神科ののらりくらりとした対応と不眠の緩慢な悪化」のために気づくことはなかった。タイの医療はバカ高く、2週間で100万近くかかり、その後、9ヶ月死ぬ思いをしたが、あの経験は不眠症治療の大きな転機になったのは間違いない。
その時感じたのは、「これは尋常ではない。精神科医の言うことを聞いていたら、本当に殺されてしまう。」ということだ。副作用が苦しくて薬を止めたのに、その後の体調や精神不良は私の我慢の限界を超えていた。最悪期は、1週間近く会社を休み、その前後2週間近く、一人の部屋で自殺ばかり考えていた。
そして、どうにかその魔の2週間を乗り越えた時、ふと気づいた。これは副作用ではない。なんなんだ?
そして、ネットで調べてみてやっと離脱ということが理解できたのだ。
しかし、この離脱が睡眠薬とつながるのは、それから7ヶ月かかった。最悪期から立ち直るまでに5ヶ月かかり、そこから2ヶ月間、ネットで情報を調べまくった。もう精神科の医師から心は解放されていた。通院しても、適当な回答をして、薬を処方してもらうだけだった。2ヶ月後、ネットの調査の結果、大きくは5 つのことがわかった。目からうろこだった。
- 不眠の原因は睡眠薬そのものであること
- 睡眠薬にも離脱症状があること
- 「不眠の悪化」も離脱の1つであること
- 首、肩、背中の激痛は離脱であること
- 薬害不眠症は断薬でしか治療できないこと
ネット調査をもとに、減薬方法、スケジュールも用意した。
この時点で心のチェックアウトはできた。
2018年7月28日、勇気を出して減薬にダイブした。